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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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花咲く甲斐路 vol.1


この秋は山梨へ。キリシタン大名だった有馬晴信の最期の地を見て、戦国の世の史跡も回ってみたいなと思い。むかーし行ったぶどう園など、思い出の地もちょっとだけ行ってみたいなと思っています。こんないい季節に甲斐国に行けるなんて感謝です☆彡



談合坂SA


談合坂の大きなサービスエリアに寄って休憩し、一路山梨へ。まずは武田信玄ゆかりの史跡が多い甲州市へ向かいます。

三連休だけどそんなに混んでないのが幸い。早起きして良かった♪


恵林寺


こちらが恵林寺。有名な禅寺ですね。快川和尚が織田勢に焼き討ちに合い「心頭滅却すれば、火も自ずから涼し」と詠んだ言葉が掲げられているという三門は、これかな?

快川和尚がまさしくその言葉を詠んで亡くなった(火定という)所に、三門は建てられているのだとか。非情ですね、戦国というのは。


解説板

赤門(四脚門)

四脚門解説

開山堂

庭へ


庫裏を見て、庭へ。枯山水の方丈庭園が美しいです。

手入れが大変でしょうね。

本堂裏手の庭園は国の名勝指定を受けているのだとか。

それもそのはず、京都嵯峨野の天龍寺、嵐山の西芳寺(苔寺)とともに、夢窓国師の代表作として挙げられているのです。700年も前に作られたのに、それが今も名園だなんて、すごいことだなと (*'▽')



大庫裏

廊下

方丈庭園

恵林寺庭園

柿が落ちますので・・・


柳沢吉保の墓などを見て、駐車場に戻ると、「柿が落ちますので注意してください」との札が。

すごい名刹だけど、こういうハンドメイド注意書きがあるところがキュート。ちょっと和みました♪



塩山カトリック教会


甲州市まで来たので、こちらにある教会も訪れてみようということで、塩山カトリック教会へ。

案の定と言っては語弊があるかもしれませんが、案の定な感じの小さな教会。アットホームと言うべきですかね。


塩山カトリック教会


扉が開いていたので、中に入れました。

こういう教会いいですよね☆

信徒さんは20~30人なのかな?

お祈りできて感謝です。



 ぶどうを食べに o(゜▽゜ヽ)(/゜▽゜)o レッツゴー♪


ぶどう畑


さあて、ぶどう園へ参りましょうか。最近は閉園になることも多いと聞くぶどう園ですけど、昔来たこちらは健在でした。

懐かしいなと思いながら、勝沼にある古柏園へ。前来たときは、道沿い一帯が全部ぶどう園だったのですが、今はこちらだけ盛業中という感じ。

他の所も頑張っているんでしょうけど。


ぶどう狩り


ぶどう狩りまでするのは時間的に無理だったのですが、良さそうなのを取って、夫の実家に送るように詰めてもらいました。

広いぶどう畑。たわわに実るぶどう。見ているだけで豊かな気分になれます (*^^*)


ぶどう園

ぶどう

いろんな種類

料金表

日本基督教団 勝沼教会


それでは勝沼の教会へも。日本基督教団 勝沼教会です。

さっきのカトリック教会と雰囲気は似てます。

全国津々浦々に、こういう小さくアットホームな教会があり、信徒さんが日々祈って通っているんですね。



 有馬晴信謫居の跡へ!


丸林橋西交差点


では今回一番の目的地へ。ここが見つからなかったら話にならないという、それは有馬晴信謫居の跡!

ものの本に「甲斐大和駅から国道20号を東に1キロ進み、丸林橋西交差点を右折するとある」と書いてあったのですが、丸林橋西交差点から右に曲がる道が・・・ない!


有馬晴信謫居の跡発見!


辺りを行ったり来たりして、人に聞いてみてようやく発見。右へ曲がる道というのは、人しか下りられない道で、車では無理でした。

地元のおばあちゃんたちに駐車スペースまで教えてもらい感謝です。結局人が一番情報持ってますね。到着しました、有馬晴信謫居の跡


有馬晴信謫居の跡


こちらがその標柱と解説板。一坪くらいの土地が囲ってあるだけで、碑はないですね。

しかも畑の端っこの余った土地に設けた雰囲気。

有馬晴信は岡本大八事件で賄賂を送ったことが露見して、甲斐に流され処刑されたのだから、仕方ないか・・・。縁もゆかりもない甲斐国では弔ってくれる人もいなかったんでしょうし。冷遇されていたんだろうことが、この標柱とかの雰囲気からも分かります。これ目当てで来たから、そういうことも知れて良かったんですけどね。


キリシタン大名 有馬晴信


有馬晴信は1567(永禄10)年、有馬義貞の次男として生まれ、嫡男である兄が早世したため、家督を継ぎ、島原半島に位置する日野江藩の初代藩主となりました。当初はキリスト教を嫌っていたのですが、宣教師との交流を深めるうちに反転し、洗礼を受けてキリシタンに。

1582(天正10)年には大友宗麟や大村純忠とともに天正遣欧少年使節を派遣しました。本人の信仰も至って良かったようで、宣教師の記録には、キリシタンとしての晴信の功績が並べられています。その運命が暗転したのは1610(慶長15)年のこと。

マードレ・デ・デウス号事件が起こり、問題を解決した報奨として旧領回復してもらおうと、岡本大八という者の甘言に騙されて大八に賄賂を送ったのですが、これは大八のウソで、後で露見して大変なことに。家康は怒って大八を火焙りにし、晴信を甲斐に流配しました。それがこの初鹿野(はじかの)の地。

ここで晴信は自害を申し付けられ、キリシタンだから自殺はできないと答えて、首を斬られて死にました。このとき幼い息子二人も斬首されました。これを「殉教」と言えるかどうかは、人によって意見が分かれるところです。

意見の分かれ方もそうですが、運命の分かれ道はどこだったんでしょう。欲をかいたことでしょうか、それともキリシタンになったこと? 有馬晴信が殉教者かどうかと、あのとき彼はどうすべきだったのかが、私の心に引っ掛かっている問題です。

難しい問題ですが、それをもっと深く考えたくてここに来たのでした。来ても分かるってもんじゃないけれど...(^_^;





有馬晴信謫居の跡

解説板

標柱

有馬晴信謫居の跡

日川


有馬晴信謫居の跡は、そこにいても見るものもないので、そんなに長居ができる所でもありません。仕方ないので、次行きましょうか。

道路に戻って橋から見下ろすと、下を流れているのは日川。この川の畔で有馬晴信は最後の日々を暮らしたんですね。



景徳院


日川に沿って山道を上って景徳院へ。武田勝頼らが自刃した地で、その死を弔うために徳川家康が建立した寺なんだとか。

日本って、こういうところ不思議ですよね。武田家と戦っていたのは、織田・徳川軍なのに、殺した相手を弔うのって。

祟られないようにしているんでしょうけど、それなら殺さない方法は考えられなかったのかと思ってしまいます。



境内案内図

巨樹

勝頼の生害石

北条夫人の生害石

勝頼一家の墓


「勝頼公の生害石」とか「北条夫人の生害石」とかがあるので、「生害石」って何だろうと調べてみたら、「自ら命を絶つための場所として選んだ石のこと」だそう (;゚Д゚)

汗吹き出ます。甲将殿裏手には勝頼一家の墓がズラリ。

武田勝頼一行は、織田信長の配下の滝川一益に追われ甲斐の有力国人 小山田信茂を頼って落ち延びようとしていましたが、小山田信茂に裏切られこの地で一族郎党自害しました。



勝頼一家の墓

解説板

甲将殿

お墓

没頭地蔵尊


毒気に当てられたみたいになって、下って行くと、没頭地蔵尊なるものが。武田勝頼・信勝親子と夫人の遺体が葬られた場所なんだとか。

少し下りると首洗い池・・・。もーええわ、という感じです;;



没頭地蔵尊

景徳院

首洗い池

川の畔


 日川ってそういう意味だったの!?


姫ヶ淵


駐車場の近くにレリーフがあるので、見に行ってみたらば!

武田家が滅びるとき、勝頼夫人の侍女16人が若い生命を日川の淵に身を投じて殉死したそうで、そのことを描いたものでした。

で、凍り付いたのが、標柱に書かれた言葉。日川は「三日血川(みっかちかわ)」の変化だという・・・。三日間も血に染まっていたから、日川になったんですね。くらくらしてきました。。



姫ヶ淵

姫ヶ淵

日川

三日血川から・・・

コスモス


武田家終焉の地は血に染まってました。諸行無常を感じる戦国ロマンを求めて訪れる人も多いと聞きますが、ロマン・・・ですかねぇ?

さんざん殉教地に行っている私が言うのも何ですが、こんな死は眩暈がします。死にもいろいろあって、何でしょうね、死は一つの完成形でもあるように思うんです。

だけどここではぶち切られたようで、悲惨です。裏切りと恨みと死、このセットはいかんですよ。



氷川神社


続いて大和町田野にある氷川神社へ。有馬晴信が葬られた場所を探していて、ここに行きついたんですけど、どうやらハズレっぽいですね。

私の人生にハズレは付きものですので、へこたれません。特にキリシタン関係は曖昧な伝承も多くて、「あれ?」ってことも頻繁にあります。

しかし・・・もしかしたらこの辺りに有馬晴信や息子たちの遺骸が埋められた可能性はあります。誰かその痕跡を見つけてくれるといいんですがね。開発工事とかで何かが発掘されることを願いつつ、粘ってもダメそうなので、田野を後にしました。



栖雲寺


気を取り直して栖雲寺へ。道路は通っているけど、随分と山を上った所にあります。昔の人は徒歩で参りに来てたんですよね。見上げたもんだなと。

こちらには有馬晴信の家臣が遺品として託したとされる虚空蔵菩薩の掛け軸があるということで来てみたのですが、どうやらそれは展示とかされていないもよう。どうするべきか・・・。


栖雲寺

石碑

栖雲寺

解説板

宝物庫


ウロウロしていると、住職の奥様っぽい方を発見。「すみませんー」と来意を告げて、件の掛け軸を見せてもらえないかお願いしてみました。

すると遠方から来たということで、特別に見せてもらえるようになりました。ハレルヤ。

写真は撮れなかったので、お見せできませんが、キリシタン遺物ではなさそうだと思いました。とある地方自治体では、この掛け軸の複製をキリシタン遺物として展示しているんですけどね。少し前にこの寺に調査に来た学者も、キリシタン遺物ではないようだと話していたと、奥様からうかがいました。

本日二度目のハズレですが、このハズレは意味があるかと。違っているということがはっきりしたという点で。これも前進ですよね☆



ポスター

解説板

武田信満の墓

武田信満の墓

ランチタイム


お昼は家で作ってきたお稲荷さん。冷蔵庫にあったプルーン添え(ああ、質素)。

でもこの辺で食堂なんて見つけられないし、コンビニも滅多にないので、旅行にはお弁当が一番!と思いました。美味しいし。もうちょっと頑張るかー。



 富士吉田へ参ります\(*^▽^*)/\(*^▽^*)/


何もない・・・?


次は富士吉田へ。一口に山梨と言っても広いです。富士五湖周辺のリゾートから、甲州市のぶどう園、武田家終焉の地は山の中だし、甲府だってある。

昔行った所を再び訪れつつ、教会とかもめぐりたいのですが、うーん、何もない辺りに来てしまいました。


富士すばるランド


来たかったのはコチラ。富士すばるランドです。

道一本間違えたら、入口まで大回りしないといけません。

昔はスポーツのできる宿泊施設だったのですが、今はドッグランになってました。隔世の感があります。



昔からあった体育館

レストラン

ドッグラン

建物

日本基督教団 富士吉田教会


流れた年月の重さを感じつつ、教会を検索してGO。日本基督教団の富士吉田教会です。

何か可愛らしい感じ。もしかしたら有名な人の建築かも。味わい深くて、周辺環境にもマッチしています。

創立から100年を超える教会だそうです。すごい。


道の駅富士吉田


道の駅富士吉田でひと休み。運転しっぱなしの夫に休憩を。富士山よく見えますね。

最近の趨勢なのか、いろんな施設を備えた道の駅です。今日はちょっと見るだけですが、友だちとかと来たら、こういう所いいでしょうね。


富士山

道の駅富士吉田

道の駅富士吉田

富士吉田カトリック教会


カトリック教会もということで、富士吉田カトリック教会へも来てみました。山梨は各地に人口が分散しているからか、各地に小さな教会が分布しているように思います。

その中ではこちらは比較的大きい方でしょうね。中に入ってみましょう♪

聖堂内は光の洪水で眩いほど。黄金の光が素晴らしいです。この時間帯がベストかもしれないですね。「富士吉田に来たらカトリック教会も!」とアピールしてもいいんじゃないかと思いました。




聖堂内

ガラス窓

眩い

金色の光


鐘山苑


良いものを見させてもらったなと思いながら、上吉田にある鐘山苑へ。ここも25年ほど前に来たことがあって。

当時とは、すごく変わってしまっているかと思っていましたが、意外と外観はそのままですね。ホテルってそうは変わらないのかな。


庭園


いやいや、庭園はまるっきし変わってました。

チャペルみたいなのも建って、結婚式と披露宴に特化したような感じに変貌していました。

生き残りのためにどこも頑張っているんだなと。ふと見ると、日本庭園に織部灯籠が。これをキリシタン遺物だと言っちゃう人、今もいますが。。私は違うと思います。だけど期せずして見られて良かったです。違うにしても、一応見るようにはしているんです。確認した上で否定もしないと説得力がないので (^^ゞ



チャペル爆誕

鐘山苑

日本庭園も新造

織部灯籠


 甲府に向かいます \(o ̄∇ ̄o)/


高速から


今回宿泊は甲府で2泊。高速で向かっていると、光のショーが始まりました。

空に浮かぶ雲が刻々と形を変え、そこから漏れ出る光が柔らかく辺りを包むと、まるで天国を垣間見るようですよね。

これを神様のショーと、我が家では呼んでいます☆



甲府カルバリ純福音教会


甲府に着いて、ダメ押しじゃないけど、もう一か所教会へ。甲府カルバリ純福音教会です。

カルバリー教会という教会もあるし、純福音教会というのもよく聞くんですが、ここはどういう教会なんだろう。

後で調べましょ。歴史もあり、信徒さんも多そうに見えました。甲府もキリスト教目線で見ると、また違った見方ができるのかもしれませんね。



ちゃんと食べて・・・★


夕飯はジョナサン。しっかり食べておくことにします。旅行中は疲れやすいので、ダイエットは意識から遠ざけてっと。

たった2泊3日で山梨の全てを見て帰るのは無理だろうけど、できればキリスト教関連のことは網羅して回れたらなと思います。明日もいい日になりますように (o^^o)




有馬晴信、最後の日々


有馬晴信に関しては、最近出た本で、新しい見解が示されています。岡本大八事件にイエズス会が介入しているとし、それを庇う立場で晴信が死を受け入れたという主張で、晴信がイエズス会のいわば身代わりになって死んだというのです。

その解釈であれば、有馬晴信は殉教者ということになるので、私のようなクリスチャンにとっては、飛びつきたくなるような話ですが・・・、やはり眉唾だなと思います。

今日実際に行ってみて感じたのは、人生は思うようにならないものだなということでした。神様を信じていても不幸は襲ってくる。欲が絡めば、正しい道も見えなくなる。たとえ宣教師が褒めるような信仰を持っていたとしても――。

信仰は過去形も未来形もなく、いつも現在進行形なのだということなのでしょう。そして死の状況において、最も明らかに露呈してしまうものなのではないかと。

晴信が甲斐に来て、最後に痛恨の思いを込めて悔い改めの祈りをしたことが記録に残っています。私はそれが良いラストであったのではないかと思います。死に際して、もうどうしようもなかったんでしょうけど、それでも素直に罪を認めて悔い改めて祈る。これをしたところが「ちゃんとしたキリシタンだったんだな」と感じます。

だから私は、バッドエンドではなかったと思いますよ、晴信。上から目線で言ってるように聞こえたらごめんだけど。いつか会いましょうと思いながら、、、爆睡。





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