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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 切支丹の江戸 part11


今日は夫と昔行った所めぐり。今どうなっているかを見て、ついでに最近見つけて気になっている場所へと向います♪ 2人とも学生時代から卒業後もしばらく東京に住んでいたので、思い出探しをしてみたいと思います。


白山神社


まず来てみたのが白山神社。白山によく来ていた頃には、境内を近道として使っていたけど・・・(-人-;)(;-人-)

今日は史跡としての価値を分かって訪れております。昔からいろんな人が願掛けに来ていたようで、境内には勧請されて来た神社があります。神社イン神社ですね。

孫文先生座石


見たかったのは、こちらの孫文先生座石。

本殿右手の石段脇にあります。

ここで宮崎滔天という人と孫文が話をしたことを記念して建てられたもので、この2人は共にクリスチャンですね。孫文は多くの日本人の援助を受けながら活動していました☆


白山神社

孫文先生座石

神社イン神社

解説板

北とぴあ


では地下鉄で王子駅へ。上に上がると「北(ほく)とぴあ」です。90年に出来た施設でいろんな折に来たことがあります。

14階に展望室があることを初めて知り上ってみたのですが、周りに高いビルがないので、14階と言えど結構見晴らしがいいです。開かれた雰囲気を感じました♪


北とぴあ

長崎平和祈念像

展望室より

仕掛け時計

教育の森公園


次にやって来たのは文京スポースセンターのある教育の森公園。昔よくバレーに来ていたので。懐かしくなりながら地階の体育館を、一階のギャラリーから眺めておりました。

公園でも集まって遊んでましたね。そんなことを思いながら解説板を見てみたら、ここは江戸時代には水戸光圀の弟、徳川頼元の屋敷地だったのだとか。

旧東京教育大跡地


しかもその後、明治36年からは東京高等師範学校となったとかで、それで今でもコチラ(←)の学校もあるようです。

・・・ん? じゃあここ、八木重吉のいた所じゃん!!

そうです。明治36年というのは1903年で、八木重吉は1919年に受洗して、1921年に卒業しているから、ここで聖書読んでクリスチャンになって、内村鑑三の影響で再臨待っていたはずですね。何かすごい発見してしまったような。広くてとてもいい環境ですけど、それ以上に意味深いものを...(*゜ェ゜*)


解説板

教育の森公園

文京スポースセンター

筑波大学

カイザースラウテルン広場


駅から教育の森公園までの道は、カイザースラウテルン広場といい、そのユーモラスな芸術作品が小さい子供にとっては格好の遊び場所になっています。

広場の右手にあるのは同潤会大塚女子アパートの跡地碑。昭和の時代にステキに働く女性たちが暮していた当時最先端のアパートがあったそうな。

戸川昌子の江戸川乱歩賞受賞作「大いなる幻影」はここが舞台となっていました。戸川昌子自身も昔住んでいたみたいで。最近亡くなりましたけど。「ステキな暮らし」といえばいつの時代も憧れられるものですけど、永遠に続くものではないですね。当然ですが。


カイザースラウテルン広場

芸術作品

同潤会大塚女子アパート跡地碑

跡地の高層ビル

国会議事堂


では地下鉄に乗って国会議事堂駅へ。ちらりと街路樹越しに議事堂を見まして、坂を下ります。ほんとはまじまじと見てみたかったのですが、警備の厳しさにおののいて止めときました。

その辺小心者で困りますが、一度時間を取って国会見学くらい行かなければいけませんね。クリスチャンも活躍しているので☆


日比谷公園


では官庁街をてくてくと進んで日比谷公園へ。今日の最後の目的地です。

今まで花壇のある方からしか入って来たことがなかったので、この噴水は初見。日比谷公園って、私の頭の中にあるイメージよりずっと大きかったです。

江戸時代には公園の敷地内に複数の大名屋敷があったようですね。

日比谷図書文化館


さてこちらに来たのは、日比谷図書文化館の常設展示を絶対に見なければならない!からです。

昔「日比谷図書館」と言っていたのが、リニューアルして、去年「日比谷図書文化館」となってオープンしたのですが、その際に一階に東京の歴史を紹介する常設展示が設けられるようになりまして、そこになななんと、キリシタン遺物が展示されるようになったのです。

八重洲北口遺跡のキリシタン遺物


東京駅の八重洲口、現在グランドトキョーノースタワーから丸の内トラストタワーまでの地下に八重洲北口遺跡というのがありまして、近年発掘調査が行われたのですが、そこでキリシタンの墓が見つかったのです。その場所は江戸時代初めには共同墓地となっていましたが、やがて北町奉行をが建てられたので、江戸における初期のキリシタン(江戸に福音が入ったのは1598年頃)の遺骨とみられます。

キリシタン墓の中には遺骨だけでなく、副葬品のメダイやロザリオも収められていました。まあこれらが収められていて、原形を留めていたからこそ、キリシタンの墓だと分かった訳ですが。このことが報じられたのは10年以上も前のことですが、詳しい発掘調査を一般の人々が知ることができるようになったのは、「発掘された日本列島 2008年」で発表されてからですね。

それ以来ずっと、それをどうにかして見ることはできないかと思っていたのですが、すでに展示されていたとはっ! 間抜けなことですが、千代田区の文化財となったことを知りながら、区内で展示されているんじゃないかとは考えませんでした。ある時ネットサーフィンをしていて偶然知った時の驚きと言ったら・・・、いえ、もう中に入って直接見ましょう!

キリシタン遺物と原胤昭


キリシタンの遺骨は写真だけで直接見られませんでしたが、副葬品のキリシタン遺物は、ガラスケース越しに近くで見ることができました。専門家じゃないと見逃してしまうような、小さな小さな物ですね。それだけに尊く感じました。これを握り締めて天国を夢見ていた信徒がいたんだと思うと、こみ上げてくるものがあります。ごくごく初期の江戸のキリシタン。よくぞその墓が残ってくれたものよと、感謝したいですし。

さて常設展ではもう一つ大きな発見が。資料として展示されている物の出所が「原胤昭旧蔵資料」となっているではありませんか。原胤昭(はら・たねあき)はキリシタン殉教者ヨハネ原主水の家系の子孫で、明治初頭に洗礼を受けたクリスチャン。江戸時代には南町奉行所で与力として働いていたので、知人の家等にある古文書を譲り受けることができたようで、それらが区に寄贈され、今や日比谷図書文化館で大いに活用されているのです。

これには驚きました。「八重洲北口遺跡のキリシタン遺物がすでに展示されていたなんて、誰か教えてよー(泣」と思ってましたが、もうそんなちっちゃなこと言いません。もっと価値を感じるようにして下さって感謝だと思います。それにしても原胤昭・・・いろんな所で出会いますね。もしかして私を引っ張ってくれてる? まさかねぇ (〃^∇^)oアハ



日比谷公園

日比谷図書文化館

原胤昭旧蔵資料

原胤昭旧蔵資料

松本楼


日比谷公園内にある松本楼も外観だけ見学。中に孫文や奥さん、宋美鈴の物が置いてあるそうです。今日はもうすぐ閉園なので見られなさそうですね。

ふと目を向けると帝国ホテルも。アメリカから帰って来た野口英世が最初に泊まった宿で、その後定宿とした所ですね。

というか、そんな宿泊者ならクリスチャンをいくらでも見つけられそうですが、それよりも前にこのホテルをフランク・ロイド・ライトが設計した際に、助手として陰日向に支えた遠藤新(えんどう・あらた)という建築家を忘れてはいけません。

遠藤新は東京帝国大学に入学するとすぐに、一番町教会(今の日本基督教団富士見教会)で受洗してクリスチャンになり、自由学園のほか多くのキリスト教関係の建物を建築しました。建築家として有名ですが、信仰者としても心に留めておきたいというか、最近気になってきた人です。どうもこんにちは、これからあなたの足跡を追いますよーと告げてきました♪


帝国ホテル

日比谷公園

首賭けイチョウ

増上寺霊廟の石橋

モザイク通り


バレンタインが近いということで、街はそれっぽいイルミネーション。「全てモノを売るため」と看破すると虚しくなるので、それなりに楽しむかという気分に調整しました。

だけれど人生何十年かの間を、こういうものに支配されて過ごしてはいけないなと、改めて思いました。もうすぐ冬が終わって春が来ますが、人生では秋の刈り取り期を迎えていますからね...(T▽T)ムナシクナイモン




今度は四ツ谷に来たついでに周辺をうろつきます。今までもよく踏んだパターンですが、今日は九段下方面まで足を伸ばそうかと。気になっていた所を今日こそ押さえに行こうと思います☆


聖テレジア教会跡


ではまずは聖テレジア教会跡へ。大層な名前で驚かれるかもしれませんが、これは現在のイグナチオ教会の前身の教会堂の名前。

カトリック麹町教会の歴史は、実は番町から始まったんですね。現在はグランスイート六番町という高級そうなマンションが建てられています。

近くには上智大学市ヶ谷キャンパスのほか、島崎藤村旧居跡などがあります。市ヶ谷キャンパスにあるというザビエル像をいつか見てみたいという野望を抱いているんですが・・・☆


島崎藤村旧居跡

島崎藤村旧居跡

上智市ヶ谷キャンパス

日本山岳会

島田三郎、ここに暮す


「番町文人通り」を歩いていると、いろんな史跡解説板が出ていて、一つ一つじっくり見ていたらそれだけで半日かかりそう。

大体は以前見たことがあるのでスルーしていたのですが、そんな中に見たことがない解説板を発見。「島田三郎、ここに暮す」と書いてあります。

この人クリスチャンですね。足尾銅山事件とか廃娼運動とかに取り組んだ社会活動家で政治家でもあります。足尾銅山の問題を世に訴えた(後では天皇にまで直訴しようとした)田中正造とは盟友だったはず。クリスチャンだったとかは書いてありませんが、見つけられてかなりうれしいです。ここで暮しながら頑張っていたんですね (*゜.゜)ホホー


島田三郎旧居跡

串田孫一旧居跡

川喜多半泥子旧居跡

ローマ法王庁大使館


続いてローマ法王庁大使館へ。中には入れませんが(^^;)

1981年に当時の教皇ヨハネ・パウロ2世が来日した際、宿舎とした所ですね。

教派を超えたエキュメニュカルな集まりなどが開かれました。上智大学への訪問が実現したのは、ここが大学までかなり近いことが影響したんでしょうね。私の足で10分ほどですから。もちろん教皇自身が、日本では上智大学と長崎のコルベ神父記念館に行くことが夢だったと話したくらいなので、教皇の意思も大いに作用したことでしょうけど。いずれにしても歴史的な地なのだと思います♪


ローマ法王庁大使館

大妻女子大学

佐野善左衛門宅跡

御厨谷坂

二七不動堂


では以前トライして失敗した所へと向いましょう。それは二七不動!
二七不動に「キリシタン灯籠」があるとの情報を聞きつけまして、きっと「二七通り」にあるだろうと見当をつけて来てみたんですが、前は見つけられなかったのです。

その教訓を生かして、今回はネットで住所を調べて参りました。おっ、住所通りの所にありましたヽ(‘ ∇‘ )ノ

二七不動・・・?


うむ、二七不動は建物内に安置されるようになったようで、その扉が開きません。外からうっすら見ることができるんですが、灯籠らしきものは見当たりませんね。

不動尊はあるみたいですけど・・・。二七不動は昔九段下南にあったのですが、平成17年に焼失し、今は三番町のこの場所に安住の地を見つけたのだそうです。

事情は分かりませんが、今は品川寺の別院になっているそうです。火事で移されるようになった時に、灯籠もどこか別の所に持って行かれたんですかね? 「二七」だけに2と7の日が縁日らしいので、その時にまた再訪してみましょうか。

《付記》
その後、二七山不動はここではなく、コチラ(⇒二七山不動院)だと分かりました。おっちょこちょいでごめんなさい。ご参照くださればと思います<(_ _)>




靖国神社


さて大通りに出ると靖国神社の南門が。学生時代以来ですね、靖国に来るのは。

大学一年の時に、友達に行くのを付き合ってほしいと言われて、戦争関係の展示物のある遊就館に来て、回天や戦死者の日記などを見たことがあります。

思えば女性にしては随分とディープな関心を持った友人だったと思いますが、一度は行っておくのがいいかもしれませんね。衝撃を受けるというか、19歳の私にとっては何をどう捉えていいのか、戸惑う感じでしたけれど。

南門を入ってすぐの所には、石碑と「幕末志士ゆかりの練兵館跡」という解説板が建てられていました。ここで幕末の志士たちが武術を鍛えながら燃えていたんですね。これが目当てでここに来る幕末ファンもいそうです。靖国神社参拝は、戦時中のカトリック信徒にとって踏み絵のようなものでしたけれど・・・。


練兵館跡

練兵館跡

靖国神社


少し歩くと、何かと話題に上ることの多い靖国神社の本殿が。とにかく本殿に向いたい人はこのルートがおススメですね。

正門というか、第一鳥居から順番にくぐって本殿に至るルートはおっそろしく長いので。この長さは権威を高めるためでしょうけど、それにしても長いです。

かなり引くのは、本殿入口脇に置かれた掲示板に「でっかい奴を沈めます(中略)虎男は立派に働いて死にます」と書かれた手紙の内容です。こんな前近代的な愛国的文言を今の世の中ででかでかと掲げているのはどうなんでしょう。戦時中に舞い戻ったかのような錯覚に教われました。


でっかい奴を沈めます

神門

神門

大鳥居

大村益次郎像


神門の大きさにビビリつつ(上の写真で人との対比をチェックして下さい)、桜並木を歩いて行くと、聳え立っているのが大村益次郎像。

何もこんなに高く上げなくてもいいのにと思うほど上にあって、見えにくくなるほどです。こういう人を見上げなさいというメッセージが発せられていますね。

東京のど真ん中にあるとは思えない広々とした敷地に巨大な鳥居と門、中心たる本殿と銅像を見るにつけても、この国の有様がこうであるということを感じずにはいられません。私が考える民主国家日本と実像にはズレがあるのではないかと、ふと懐疑的になってしまいました。


大村益次郎解説

長い参道

オブジェ

靖国の時計塔


 キリスト教系の学校へ♪


白百合学園


靖国神社を横手に出ますと、白百合学園が。神社の、それも靖国神社のすぐ横にキリスト教系の学校があるのが不思議な取り合わせに思えます。

1878年に来日したシャルトル聖パウロ修道女会が母体となって、1904年に設立した学校ですね。

カトリック神田教会が揺籃の地だとも聞いたことがあります。守りの堅い城のような外観ですが、中から女子学生たちの歓声が響いてきます。私も中学高校の頃は何でもないことでも大笑いしたりしてましたね (´▽`)


白百合学園

近隣マップ

昔の近隣マップ

暁星学園中高等学校


続いて暁星学園へ。こちらもカトリック神田教会が揺籃の地としていて、いわゆる名門校として知られています。

開校当初から「外交官の養成機関」といわれていたそうですが、私の知り合いで外交官の息子がここの出身でした。国際的な雰囲気があり、そういった教育を得意としているんでしょうね。

最近私が気になっている山本信次郎(海軍の軍人でクリスチャン)という人や、森有正(哲学者)、長谷川路可(画家)、聖職者では岩下壮一神父、戸塚文卿神父がここの出身です。暁星学園発祥の地は築地ですが、2年後にはこちらに移ってきているので、皆こちらで教育を受けたのではないかと。

暁星学園中高等学校の道をはさんだ向かい側には日本歯科大学が。教育関係が集まっている所ですね☆


暁星学園小学校

日本歯科大学

東京ルーテルセンタービル


暁星学園まで来てみたら、地図で見て近くにルーテルの教会があることがわかったので寄ってみました。

チェックせずに来ましたが、大変由緒ある教会みたいです。建物が東京都の歴史的建造物に選定されています。

解説板によると東京ルーテルセンタービルというみたいですが、はっ!「旧日本神学校並びに植村記念基督教会会館」と書いてるではありませんか。おお、設計は長谷部鋭吉!!

うそ、クリスチャンで建築家の長谷部鋭吉が設計した日本神学校は、今はもう失われてないのだと思ってました。日本神学校自体が合併でなくなってしまい、合併した神学校も移転してしまったので。だから跡地にだけでも行ってみたいと思っていたのですが、こ、ここにそれが現存してたんですね☆

長谷部鋭吉とキリスト教


この教会はルーテル派、つまりプロテスタントの教会みたいですが、長谷部鋭吉はカトリックのクリスチャン。戦前からキリスト教に触れていて、戦後になってから洗礼を受けました。そして「温厚篤実」と評されるような生涯を送り1960年に逝去しました。大阪の玉造にあるカテドラル聖マリア大聖堂はこの人の作品です。

晩年は宝塚に住んでいたんですが、近くに教会がなかったので、信者さんたちからアトリエを聖堂として貸して欲しいと頼まれて、なんと鋭吉は快く引き受けたんですよね。普通芸術家やそういった類の人はアトリエを貸すって、あまりしないと思うんですけど。それでそこで宗教講話の集まりが開かれるようになり、参加する人々の数も増えていったんですが、近所に住む村野藤吾夫妻もやって来たんだとか。

で、この村野藤吾という人もすごーく有名な建築家で、コンペで優勝して広島のカテドラル世界平和記念聖堂を建てた人なんですけど、この人も洗礼を受けてクリスチャンになったんです。ね、クリスチャン・リンクすごいでしょ? ちなみに村野藤吾のライバルと言われたのが丹下健三なんですが、この人もカトリックのクリスチャンです。

丹下健三は広島のカテドラルのコンペでは村野藤吾に競り負けましたが、東京のカテドラル関口教会や都庁を設計しています。何ともまあ、日本に残る名建築の多くがクリスチャンの手によるものだなんて、とてもうれしいことですね♪


ルーテルセンター

旧日本神学校

ルーテルセンター

ルター

シャミナード修道院


お散歩を再開いたしまして、暁星学園小学校横の坂道を上って行くと、右手にカトリック修道院が。

マリア会のシャミナード修道院というらしいです。マリア会は日本が開国して間もない頃、オズーフ神父の招聘に答えて来日した修道会。

1888年に暁星学園を創立しました。海星学園や明星学園もマリア会が創立した学校ですね。学校教育を通して日本の精神的バックボーンを形作ってきたと言うことができるのではないでしょうか。


暁星学園小学校

シャミナード修道院

フィリピン大使館

冬青木坂

ホテル グランドパレス


歴史的建造物に指定されたフィリピン大使館の建物を横目で見ながら、冬青木坂を下って行くと左手にホテル グランドパレスが見えてきます。

金大中が拉致されたホテルですね。韓国は今でこそ開かれた国といった感じですが、昔は様々な政治的問題を抱えていて物騒だったなと思ってしまいます。

でもこの時拉致されて、日本の沿岸(徳島県の沖)にいた金大中は、何者とも分からない者たちによって海に放り出されそうになったのですが、そこへ光が差して状況が変わり、イエス様の姿を見たんですよね。不思議です。それで助かったんですから。その話をニュース番組の「報道特集」でやっていて、「金大中自伝」という本を読んで詳しく知りました。

金大中はカトリックのクリスチャンだから、後で神父さんに「あれは一体何だったんでしょう? 私の脳が作り出した幻でしょうか」と尋ねています。すると神父さんは「あなたが祈っていて見たなら幻かもしれませんが、祈れるような状況でもなく見たのなら主かもしれませんね」と答えたそうです。面白い問答・・・というか、すごい話ですよね (゜0゜*)


ここでブレイク


ではここでブレイク。九段下にも、入りやすい普通のカフェがあるんですね。栄養補給して脚の疲れを癒します。

次々見えてくるものを追っているうちに、あっという間に結構な距離を歩いていました。私の運動法はこれだな!と悟りました☆


 皇居周辺を歩こう!


日本基督教団 九段教会


では再び街へ。皇居の田安門を出た所にあるのが、日本基督教団の九段教会。最高の立地に最高の建物をと考えて建てたのでしょうか。自負心を感じます。

ここに最初の教会堂が建てられたのは1898年で、三代目となる現在の教会堂は1995年に建築されました。

HPによると「風をはらむ船の帆」をイメージしてるんだとか。なるほどー♪


九段教会

周辺地図

昔の周辺地図

お向かいは皇居

北の丸公園へ


歩道橋を渡って、皇居の北の丸公園へ。以前昭和館に来たときにこのルートで入りましたね。

桜が散って寂しげですが、しっとりとした趣があります。北の丸公園にある武道館では、1981年のローマ教皇来日の際に若者の集まりが催されました。

それ以外にもたくさんクリスチャンが利用してきたと思いますが。


品川弥二郎像

お濠

田安門

北の丸公園

吉田茂像


今日、北の丸公園で見ようと思ったのは吉田茂像。

吉田茂像は各地に建てられていて、これで何体目かなという感じですが、ここの吉田茂は幸せそうですね。

桜に囲まれています。八重桜なのでちょうど今が見頃。とっても平和な光景です (^ー^* )


皇居 東御苑


北の丸公園を出ると、道をはさんだ向こうには東御苑の門。その間を歩道を皇居ランナーが駆け抜けていきます。交通量が多いので、空気はそんなに良くないかもしれませんが、健康には良いのでしょう。ご苦労様です。

さて竹橋に続くこの道を選んだのには理由があります。江戸時代、切支丹屋敷にあった宗門道具(キリシタンが所持していた信仰的な物品。メダイや教理が書かれた本など)が、日本中からキリシタンがいなくなって切支丹屋敷が撤去された際に(実は隠れて信仰を守る隠れキリシタンはいたんですけど、その話はさておき)、竹橋御門内にあった不浄櫓に移されたと記録にあるのです。


国立公文書館

紀伊国坂

東京国立近代美術館

竹橋御門跡

竹橋


で、その不浄櫓もいつしか無くなって、保管されていたはずのキリシタンの宗門道具は行方不明になっているですが、キリシタンフリークの私としては不浄櫓のあった場所だけでも見たくって。

それで竹橋にやって来た訳です。性懲りもなく・・・という感じかもしれませんが。見てみると竹橋の御門の中に相当する所には、国立公文書館と東京国立近代美術館がありますね。

何かを保存しておいた所の跡地だから、使い方を継承してこれらが建てられたのかなーと想像してみたりして。想像しても始まりませんが。行方不明になっている物たちがどこからひょっこり出てきたらどんなにいいだろうと、ちょっぴり、いえ、がっつり神様にお願いして一日を終えました ((((* ̄ー ̄*)†~~~


竹橋

竹橋

竹橋たもとの公園

周辺地図



江戸の切支丹か、切支丹の江戸か


今回の旅行記のタイトルを、「江戸の切支丹」にするか、「切支丹の江戸」にするか迷って、後者に決めました。

八重洲北口遺跡にしても竹橋御門内にしても、江戸には開府以来ずっとキリシタンがいたし、今でも現代のキリシタンであるクリスチャンが多くの足跡を残しているのだから、そう名付けるのがふさわしいと思って。

またキリシタンの祈りが現代まで続いていることを感じて、というのもあります。だから私にとっては興味深いことだらけの東京、です。キリシタンだけでなくクリスチャンにまで守備範囲を広げたので、ちょっと大変ですが (;^_^A

そして続けて踏破して、最終的には何かの証しになればと思っています。歴史か、人か、その全てか・・・、漠然としてますが何かの証しをしたくてめぐっております。どうか温かく見守ってくださいませ。




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