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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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南蛮遍路 其の弐


昨日は徳島市から北上したのですが、今日は南下します☆ 明日室戸岬へ行きたいからそうするんですが、阿南にはキリシタン史跡地も。ディエゴ結城が阿波公方に嫁いでいた妹を訪ねて行ってるんですね。ちょっとのびりした空気が流れていて、四国っていいなぁ ´3`)´3`)♪



眉山

眉山


名前だけ聞いたことのあった眉山。徳島市内にあったんですね。ロープウェイで登れるようです☆

時間があったら寄ってみたいところですが、今日はスルー。一日の旅程を考えると、ゆっくりしてられませんので。市内で必ず見ておかなければいけない所だけ回ることとしましょう。


寺町にある寿量寺

寿量寺


まずやって来たのは、寺町にある寿量寺。日蓮宗のお寺です。この辺りは「寺町」というだけあって、周りほとんど寺です。

「境内にはキリシタン灯籠を配している」とお寺の掲示板に書かれているのに、見当たりません。

お墓参りに来ていた檀家さんに聞いてみたら、「今は中にしまってあって見られない。私も見たことない」と言っていました。大切にしてるんでしょうけど、それなら掲示板の文言を書き換えた方がいいですよね。


浦上キリシタンが預けられた寺

東光寺


次は近くの東光寺へ。伝・写楽の墓があるということで、それで知られているお寺のようです。

が、私たちが来たのはそれが目当てではありません。流配されて徳島に来た浦上キリシタンが預けられた寺だからです。

解説板とか出ていませんが、見るからに立派なお寺ですね。



浦上キリシタンが預けられた

本行寺


続いて本行寺へ。こちらも寺町にあるので、ご近所さんです。こちらにも浦上キリシタンが預けられました。

本行寺の建物はパッと見、公民館のようですが、よく見るとお寺だと分かります。広い駐車場はショッピングセンター並み。ここに信徒たちが住んでいたんでしょうか。

本行寺も日蓮宗のお寺ですね。浦上キリシタンが預けられた寺は日蓮宗が多いような。日蓮宗は特にキリシタンを邪教視していたからでしょうか。


徳島城跡

徳島城跡を少し・・・


それでは寺めぐりはこのくらいにして、徳島城へと向ってみましょう。やっぱ徳島のヘソですので♪

・・・が、開く時間を勘違いしていて、回りの公園しか入れませんでした。旅の最終日には徳島に戻って来る予定ですが、後で来る時間があるかわからないので、外回りだけざっと見てきました。

車で待たせてしまった夫よ、ごめん (≧≦)


徳島城跡

城山貝塚

城山貝塚解説

鳥居龍蔵記念碑


 小松島市へ (o ̄∇ ̄o)/


東八幡神社

東八幡神社


気を取り直して、小松島市へ。徳島市から少し南に行った所にあります。

こちらが小松島市のヘソ(核心地と言う方がいいか?)の東八幡神社。春夏秋冬の景色が美しく、蜂須賀家政はここの松原の所に別邸を建てて住んでいたそうな。

一の鳥居の額は勝海舟の揮毫だということですが、「これかなぁ?」という感じで確信が持てませんでした (・Θ・;)ドレダイ?コレカイ?


東八幡神社

一の鳥居?

千代の松原

千代の松原解説

浦上キリシタンの改心者が預けられたお寺

桂林寺


次は桂林寺へ。 浦上キリシタンの改心者が預けられたお寺です。

「改心者」とは、キリスト教の信仰を捨てた者のこと。反対にキリスト教の信仰を守る者は、「不改心者」と呼んでいました。

呼び名だけでも、偏見に満ちた人権侵害ですけどね。


宝聚寺

宝聚寺


続いて宝聚寺へ。こちらも浦上キリシタンの改心者が預けられたお寺です。

天皇中心の国家を目指していた明治政府は、キリスト教を邪宗門と決め、信仰を露にした者を配流に処したのです。陸地ですけど、昔の「島流し」と同じですね。

何の変哲もない普通のお寺なのに、そういった歴史があったことを知って見ると、何だか違って見えてきます。


地蔵寺書院

地蔵寺書院


こちらは観光名所ともなっている地蔵寺

本堂の書院は、この後訪れる阿波公方の館が移築されたものなんだとか。

ディエゴ結城も見たかもしれませんね。

それからもう一点、こちらも浦上キリシタンの改心者が預けられた寺だったりします。昔からある信用できるお寺に、少人数ずつ分けて預けたことがわかりますね。信徒たちが互いに話して信仰に立ち返るのを阻止したかったのでしょう。いい雰囲気のお寺なのに、少し残念な気分がします・・・(´ヘ`;)


日本基督教団 小松島教会

日本基督教団 小松島教会


では気分調整のために教会へ。日本基督教団の小松島教会です。

お寺などがある歴史地区とは離れた、新興住宅地にありますね。元は別の場所にあったのかもしれません。

主を愛して祈っている人たちがいるのを確められて、うれしいです♪



 それでは阿波公方の館跡へ行きましょうか♪


阿南市立阿波公方・民俗資料館

阿南市立阿波公方・民俗資料館


さてそれでは、今日のメインとなる阿波公方関係の所へと向いましょうか。

まずは阿南市立阿波公方・民俗資料館で情報収集。

こちらの資料館にはディエゴ結城関係の展示もあるそうなので、期待が膨らみます ( ̄▽ ̄)V

阿波公方の像

阿波公方の像


阿波公方(あわくぼう)とは、戦国時代の動乱の中、足利家の将軍争いに敗れた足利義冬が、阿波守護の細川氏に迎えられてこちらに移り住んだのが始まりで、上洛の機会を覗いながら、歴代の阿波公方が当地で暮しました。

館のあった平島庄に因んで「平島公方(ひらじまくぼう)」と呼ばれることもあります。

足利義冬が病に斃れましたが、息子の義栄が上洛を果たし、1568年に征夷大将軍に任じられ、第14代将軍になりました。しかし織田信長の登場で地位を追われ、阿波の地に逃れて療養中に病死しました。その後子孫たちは中央に出て行く機会のないまま、蜂須賀家の客将として代を継いでいきました。
阿波公方の像
家柄は認められていたものの、所領は没収され、蜂須賀家から与えられたのは茶湯料100石だけだったので、冷遇されていたと言っても過言ではありませんでした。しかしそんな境遇であっても歴代当主の中には漢籍などに長けた者が多く、一大文化サロンのようなものを形成していたこともありました。

そこで現在も、阿波にありながら京都風の文化を保ち、地元に文化的影響を濃く与えた存在として、阿波公方は尊敬されている訳ですね。田舎にあっても風雅なライフスタイルを送ったことが評価されているのでしょう。

ディエゴ結城関係の展示も、壁の一角に、小さくですけどありました。ディエゴ結城が2008年に列福されたから、それで展示に加えられたようです☆



阿波公方解説

阿波公方の資料

ディエゴ結城関係展示

阿波公方の子孫

阿波公方館の遺構

一階は民俗資料館

昔の教科書

民俗資料館


平島館跡(阿波公方館跡)

平島館跡(阿波公方館跡)


阿波公方・民俗資料館の隣にあるのが、平島館跡(阿波公方館跡)

実際に館があった場所ですが、現在は一面の畑になっていて、その中に塚が築かれているだけです。

塚の天辺に「平島館跡」の標柱が建てられているので、これを見て往時を偲べということでしょうね。ディエゴ結城は恐らくこの付近で生まれて少年時代を過ごし、成長して神父になってから帰郷した際に妹の祐賀を訪れました。祐賀は3代目阿波公方の足利義種に嫁いでいたので、この夫妻と会って話をしたのは、ここだったはずです。祐賀は子供と共に洗礼を受けキリシタンになりました。歴史的な場所ですね♪


阿波公方館跡

阿波公方館跡

道の駅「公方の郷なかがわ」

道の駅「公方の郷なかがわ」


道の駅「公方の郷なかがわ」でランチを。
おススメを聞いたら、カレーだということで注文。

今まで四国らしいものを食べてなかったのですが、やっとご当地グルメを味わえました。カレーですけど ≧(´▽`)≦



 もう少し阿南市めぐって★


西光寺

西光寺


では阿波公方のお墓に参りましょうということで、西光寺へ。

義植、義冬、義栄三代の墓が目立ってて、義種の墓は見つけられませんでした。

義種の墓所は阿波公方館にあったという話も伝わっているので、もしこちらに墓碑があったとしても、本当に眠っているのはさっきの畑の下なのかもしれません。

ディエゴ結城は、足利義輝の弟の足利周暠の孫。妹の祐賀も同じです。足利家の将軍職を継ぐ者としての条件を、より確固たるものとしようとして、祐賀を嫁にもらったのかもしれませんね。昔の世の中ですから政略等を考えて結婚するのは当然でしたが、そんな妹に、家の駒ではなく一人の人間として生きる道を、ディエゴ結城は教えたかったのではないでしょうか。



カトリック阿南教会

カトリック阿南教会


ではでは阿南の締めくくりに、教会へと向いましょう。カトリック阿南教会です♪

ドアが閉まっていて中には入れませんでしたが、外に建てられたディエゴ結城の碑を見ることができたから大満足。

年譜も添えられていてエクセレントです☆

ディエゴ結城了雪神父の顕彰碑ディエゴ結城了雪神父の顕彰碑


ディエゴ結城顕彰碑

ディエゴ結城年譜

日本聖公会 富岡キリスト教会


近くにあったので、日本聖公会の富岡キリスト教会にも。

英国国教会の流れを汲む聖公会はプロテスタントなんですけど、少しカトリック寄りなところがあって、教会もそんな感じですよね ∬´ー`∬



 それでは宿泊先へとGO ( ̄▽ ̄)ノ


道の駅にて

道の駅にて


足湯のある道の駅にて休憩。抹茶アイスが美味です♪
道の駅にて


日本基督教団 日和佐教会

日本基督教団 日和佐教会


それでは後はもう宿泊先へ向うだけということで、どんどん南下&海にぶつかって道なりに西へ。

途中の日和佐で教会を見ました。日本基督教団の日和佐教会です。キリシタンに興味を持ったおかげで、全然知らなかった町にも来られて、ほんと感謝です☆


日和佐の陣屋跡

日和佐陣屋跡


道を通っていたら日和佐の陣屋跡も見つけました。美波町役場が陣屋跡に建っているんですね。

阿波藩のこの地域での代官所としては、海部陣屋が存在していましたが、1807年に海部の郡代官所機能がここに移転されて新たに陣屋が営まれることになりました。これが日和佐陣屋です。以後明治維新に至るまで、郡の代官所として機能していたそうです。


竹ヶ島のマリンジャム

竹ヶ島のマリンジャム


本日の宿泊は海陽町にある竹ヶ島という島!
島と聞くだけでテンション上がりますが、四国と橋で結ばれているので地続きみたいな感じ。

でも島だからリゾートな雰囲気があります。観光施設マリンジャムではシーカヤックの講習をしていましたが、予約してないとダメだということで見学。

でも見ているだけでもいいです。よく晴れていて、海が青くて。サーファーのパラダイスだったんですね。知りませんでしたが (*゜。゜)ホー

竹ヶ島の海

竹ヶ島の海

海とサーファー

地層

竹ヶ島の海

民宿 竹ヶ島

民宿 竹ヶ島


いかにも「民宿」な「民宿 竹ヶ島」(ネーミングもベタですが)で、ああ民宿に泊まっているなという一夜を。どこか懐かしくて、脳からセロトニンが放出されています♪

宿泊費をお札で払ったら、お釣りの細かいのがないからと50円弱負けてくれました。小さなやり取りですけど、何だか癒されました。。




  許すなんて、すればいいんじゃん?


海や空を目にしながら一日を過ごしたら、心まで青く染められたようで「許すなんて、すればいいじゃん?」という気持ちに。寛容になれました。

プラス、ずっと見ていたのがお遍路さんの姿。鳴門から南下してくるルートはお遍路さんの辿る道と同じだったようで。「お遍路・サーファー宿」と書かれた看板もよく目にしました (笑

お遍路さんの白装束を見るたびに、人間の一生はこんな感じにひたすらに死までの道を歩んでいくようなものじゃないかと思いました。若い頃が過ぎたみたいに、中年だって過ぎるはず。老年は来るはず。

そう考えてみたら、憎むような悪い心を持って生きてていいだろうかと反省しつつ、早く方向転換せねばという気持ちになりました。こんなことにも気づかせてもらうのだから、旅ってやっぱりいいものですね (^-^")/






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