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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 北国の使徒たち 1




今回の旅は新潟から北陸へ。全部まとめて「北国(ほっこく)」としました。北国にいたキリシタンの代表格は高山右近。でもそれ以外にも追いかけたい人がいるのです。楽しい旅になりますように (^▽^)/





高坂SA


調べてみると、我が家から新潟市までは354キロ。5時間はかかりそうなので、途中休み休み向かいます。まずは高坂SA、次は谷川岳PA。

交通情報と到着予定地の天気を見るたびに、雨風が強くなっているのが分かります。実は大型の台風が日本海側を直撃するとの予報が出ていて。

谷川岳だけの向こうは霧が立ち込めていて、視界はかなり悪そう。無事に着けますように!そして明日はフェリーで佐渡へ渡れますように。ほんとに大丈夫かかなり心配 (´;ω;`)



高坂SA

交通情報

谷川岳

霧が立ち込める

荷揚げ場


とりあえず無事に新潟に着き、高速を下りてみなとぴあへ。新潟市歴史博物館を中心に、レトロな建物が集められた史跡公園で、港の風景も良いのだと聞いて。

初期の新潟港の遺構である、荷揚げ場が復元されていて、情緒たっぷり。雨は小降りになって風も収まってきました。大雨強風警報が出ているんですけどね。感謝!



周辺地図

荷揚げ場

解説板

マップ

旧新潟税関


荷揚げ場の正面に続いているのが旧新潟税関。函館の奉行所を思い出すような外観。和風とも洋風とも、和洋折衷とも言い難い、独特の建築様式で、敢えて言うならゲーム風。

運上所や税関では陸に揚げられるすべての人や物が検査されたのだから、開国後海路で新潟にやって来た宣教師らもここを通ったことでしょう。この建物を見て何と思ったのか。



旧新潟税関庁舎

解説板

解説文

倉庫

歴史博物館本館


みなとぴあのメインは新潟市歴史博物館

新潟市にあった、二代目市庁舎をイメージして造られた建築物で、内部の展示も凝っているのだとか。入ってみましょー☆


四間堀

展示室へ

展示室

展示品


新潟の外国人


館内施設といい、入ってすぐのオープニング映像といい、気合の入った造りにテンション上がりますが、やはり一番大切なのは展示内容。

よく構想が練られているのが分かる、奥深い展示です。ビジュアルに訴えつつも、知りたい項目のところを読めば詳しくも知ることができるという点で。

興味深かったのは開国後の新潟の動きで、特に目を引かれたのは「新潟の外国人」というタイトルが付けられたコーナー。「開化県令」と呼ばれた楠本正隆と、明治期に新潟にやって来た外国人宣教師のことが書かれています。

楠本正隆は新潟県令になる前、外務権大丞を務めていた人物で、その任務の一環として浦上キリシタンの巡察をし、信徒の待遇改善を各藩に促しました。そのことによって命を長らえた者もきっといたと思います。つまり浦上キリシタンにとっては命の恩人級の人(たぶん)。だから今回は楠本正隆のことも、新潟で追ってみたいというのが、私の目論見だったりするんですよね。早速会えて光栄です (^^♪



新潟築港と都市化

楠本正隆

新潟の外国人

宣教師ら

大陸への玄関


さて、新潟と言えばスキーができる米どころというイメージしかなかった私には、ドーンと頭に響く衝撃もありました。

日本の中国侵略は新潟港を「大陸への玄関」にした――と書かれています。

そうだったんだ・・・。それで町は繁栄し、その代わり大戦末期には原爆投下候補地の一つに挙げられていたということです。

私が知らない戦史というやつですね。キリシタンやクリスチャンの足跡ばっかり訪ねていて、イマイチそれ以外の歴史に疎いのです。でも知らなければなりませんよね、その土地がどんな歴史を背負っているのか。せっかく知る機会を与えてもらっているのだから。反省しつつ、しっかり読みました。



満洲国へのルート

大陸への玄関だった

地図で見ると明らか

日満連絡船

新潟港の機雷封鎖

原子爆弾と新潟

命令書

新潟市の攻撃目標

子供の傘


結構時間をかけて館内を回り出てくると、入る時にはなかった子供たちの傘が。校外学習に来てるようです。私も小学生から勉強をやり直したいくらいです。

いえ、子供に戻ってではなく、大人になってからも学び続けなければなりませんね。大人になってからでなければ、理解し吸収できないこともあるんでしょうから。

でも子供の傘って、カラフルでかわいい (o^^o)



様々な災害

新潟大火

昔の民具

河川

佐渡汽船のカーフェリー


外に出ると、そぼ降る雨の向こうに港と船が見えます。現代の港は向こう岸に移され、港湾設備もスタイリッシュに整備されているもよう。

停泊しているのは、明日乗る佐渡汽船のカーフェリー「おけさ丸」。船に「丸」って付けちゃうところだけは、昔から変わってないようですけども。


歴史博物館から

港湾施設

新潟市歴史博物館

新潟市歴史博物館

旧第四銀行住吉町支店


目を転じると、新潟市歴史博物館の向かいには、レトロな旧第四銀行住吉町支店が対のように建てられています。

こちらは本物の大正期の建物を、解体して新たに鉄筋コンクリートの骨組みの上に組み立てたもので、蘇ったレトロ建築物。

明治や大正の洋風建築には独特の品があって、たまりませんね。迫力、色、存在感・・・。あの時代の建築にはかなわないという、絶望のような幸福感が胸に広がります。

中にも入ることができて、館内散歩しながらフォトジェニックなシーンを楽しみました。今はレストランになってますが、昔は銀行だったそう。なんと優雅だったんでしょ、昔の銀行って。



解説板

館内

吹き抜け

応接室

和室

ステンドグラス

モザイク

巨大金庫


 市内を観光☆彡


勝楽寺


次は市内観光へ。傘もいらないくらいの雨になってきました。コインパーキングに車を停めて向かったのは勝楽寺

開国して間もない頃、この寺の境内にイギリス領事館が設置されていました。

新潟港は1868年に対外開港したのですが、外国人の来住が少ないため特に居留地は設置せず、市街に雑居することが認められていました。堀まで掘って隔離した横浜などとは大違いで、一言で居留地と言ってもいろいろだなと驚くほど。

で、大切なのはここからです! この寺をイギリスが領事館としていた頃、新潟領事代だったトゥループという人物が浦上キリシタン流配に反対し、流配地を回って査察をしたのです。先ほどの楠本正隆と同行することもあったようで。つまりここに2人目の恩人さんがいた訳です。あくまで私の捉え方で、ですけども (^_^;)

トゥループは楠本正隆とは違いクリスチャンだったので、祈ったのではないかなーと思います。イギリスは国教会で、浦上キリシタンはカトリックですが、同じクリスチャンの命運を案じて。



イギリス領事館跡

勝楽寺解説板

勝楽寺解説

勝楽寺

行形亭


そこから7分ほど歩いて行形亭(いきなりや)へ。自由民権家が密談に集まった料亭で、建物は国の登録有形文化財。

ここに与謝野鉄幹・晶子夫妻も来たりしていました。与謝野晶子はクリスチャンですね。

この高級料亭の小道を挟んだ所にあるのが西大畑公園で、昭和40年代まで監獄所(新潟刑務所)だったことから、間に挟まれた道の名前は「地獄極楽小路」。あの、そのネーミングってちょっとブラックだったりしません?



行形亭

行形亭の蔵

地獄極楽小路

イタリア軒


表の大通りに戻ってくると、ホテルイタリア軒に到着。楠本正隆が県令として着任して開化を進めていく中で、イタリア人ミオラという人に料理店を開いてはと勧め、援助もして始められた料理店です。

楠本正隆は「官」だけでなく、「民」でも開化が進むように促したんですね。今も盛業中なのは、その成功の証。



カトリック新潟教会


それでは教会めぐりもしていきましょう!

まずはさっきから双塔が見え隠れて気になっていたしてカトリック教会へ。

カトリック新潟教会は新潟教区の司教座教会です。現在の新潟司教はタルチシオ菊地功司教。昨年のカトリック神学院の学祭でミサを司式していたので、お姿はちらりと見たことがあります。絵本から飛び出したような、かわいらしいお御堂ですね。信徒会館からロザリオの祈りが聞こえてきます。



カトリック新潟教会

祭壇

聖画

小聖堂

聖母像

ステンドグラス

聖堂内

顕彰碑

日本基督教団 新潟教会


次はプロテスタントへ。日本基督教団の新潟教会は、新潟で一番古いプロテスタント教会の一つです。

教会堂は建て替えられたと見え、惜しいかな、1886年に設立された教会のようには見えません。外見でそう見えなくても、実際にそうなのだから、何の問題もないと思いますけど。



新潟聖パウロ教会


続いて日本聖公会の教会へ。病院に続く道の手前にひょっこり顔を出すのが新潟聖パウロ教会です。

聖公会が新潟市に集会所を置いたのは1904年。1926年新潟聖パウロ教会となり、現在に至っています。


本明寺


開国後間もない頃に、最初にカトリックが入ったのは、今より郊外でした。

1871(明治4)年アンリ・アンブルステ神父が片原四之町に一軒の家を借りて伝道所とし、その後こちらの本明寺に移り、更に1872(明治5)年に他所に移っていきました。

カトリック教会として使われたのはわずかな期間でしたが、本明寺は現存しているから見てみようと来てみましたら!すごいことが分かりました!!

ここに原敬がいたんだってーーー!(興奮するのは私だけ・・・?)

原敬は平民宰相でクリスチャンですね。カトリックの神父さんとの関わりがここで持たれていただなんて。研究している人以外には知っている人はあまりいないでしょう。研究者でもここまで来て確認する人は少ないでしょうし。だから私なんぞが見つけられたのはとてもラッキーなことです。

ここで書生をしていた人が後に総理大臣になるなんて、当時は誰も、本人さえも想像していなかったかもしれないですね。誰がどんな人になるか分からないから、誰のことも侮ったりしないのがよくて、また自分のことも信じてあげるのが一番なんでしょうね♪



本明寺解説板

原敬が!

本明寺


 県政記念館へ行ってみよう!


救世軍


明日に備えてあとは県政記念館だけ寄ろうかなーと向かっていると、信号待ちで救世軍の教会を発見。救世軍の新潟小隊(救世軍では教会のことを小隊と呼ぶ)です。

随分と年季が入っていますが、入口に掲げられた書を見るに、気合も入っているようです。堅固な信徒がおられるのでしょう。


新潟小隊

入口

新潟県政記念館


さてと、こちらが新潟県政記念館。私が好きな明治期の建物で、国の重要文化財の指定を受けています。

市内観光のメインどころだと思うのですが、訪れる人が少なめなのは、交通の便のせいでしょうか。ゆっくり見学できるので、個人的にはうれしいのですけども☆彡


新潟県政記念館

新潟県政記念館

案内

解説板

展示室


入館無料の館内は、照明が少し暗め。建物と展示品の保護のためでしょう。それは理解できますが、解説パネルなどの手作り感はどうなんでしょうか・・・。

都会の、専門業者が入った展示に慣らされているからそう感じるんだと思いますが、パネルとかの字が古いと、古い情報のように思えたりしますね。時間が止まっているようにも感じたり。

専門業者を入れなくても、器用な県職員さんがいたら、割とリーズナブルにリニューアルできるんではないかと思ったり。。余計なお世話か (;^_^A



鳴り天井

鳴り天井

バルコニー

館内

楠本正隆


お目当ての楠本正隆も見つけましたよ。あらま、楠本正隆の各時代の写真が揃ってる。よほど新潟ではリスペクトしているものと見られます。

それから楠本正隆って、額は後退しているものの、意外とイケメンだったんですね。衆議院議長時代の写真だから、それ以前の新潟時代はモテたかもしれません。

またそれ以前の外務権大丞時代は、もっとイケてた可能性が。歴史上の人物がイケメンだったからって、どうってことないですが、本で名前だけ知っていた人がちょっと立体的になった気がして◎



楠本正隆コレクション

新潟県令楠本正隆

楠本正隆年譜

自筆草案

窓辺


国の重要文化財だけあって、建物のディテールの凝ってること凝ってること。カメラ小僧になって撮りまくりたい衝動に駆られます。

それはさておき、新潟県政記念館は元々新潟の県会議事堂だったもので、その関係でもう一人ここでチェックしておきたい人がいます。

それは尾崎行雄。「憲政の神様」と言われたりもしますが、このあだ名を本人が喜んでいたかな?と思います。なぜならクリスチャンだったから。クリスチャンは神様を信じているので、自分が「〇〇の神」とか呼ばれるのを嫌がります。もう一つのあだ名「議会政治の父」は受け入れたかもしれないですけど☆



議場


こちらがその議場。吹き抜けになった2階が傍聴席でした。

知事席や議長席に座って、往時の気分を味わうこともできます。

やや狭い議場ですけど、こうした場から、幕藩体制から自由民権的な議会政治へと移っていったんだと思うと、「おおお」と思います。

日本人にとっては、身分を離れたフラットな関係で意見を言い、多数決で政策が決められるという体制は、それまで体験したことがないものだったのだから、混乱期だったとも言えそうで。そんな中で尾崎行雄は議会政治が定着するよう、議会の運営を助けていたんですね。こういう助っ人が、いろんなところにいたから、「今」があるんでしょうね。



傍聴席より

議場

細部が凝ってる

知事席

白山公園


県政記念館の隣にあるのが、白山公園。公園の開設を発案したのは「開化県令」楠本正隆です。

ここでもまた、くすもっとー(楠本から勝手に命名)ですが、尊敬されているだけあって、各所に業績が残ってるなと思います。よくアイデアを出し、そして働いたんでしょうね。

元々白山神社があって、その参道や境内が公園になった(?)みたいな公園です。銅像になっているのは「忠犬タマ公」。初めて聞きましたが、新潟ではポピュラーなんですかね。タマ公の他に、義民の碑や歌碑が林立していて、ちょっと手狭になってる感が。少し削って余裕を作ってはどうでしょうか。。



白山神社

園内地図

何かの碑

忠犬タマ公

楠本正隆像


小高くなった丘にあるのが、楠本正隆像と明治天皇行幸の記念碑。ここが園内の至聖所なのでしょう。

銅像のイケメンくすもっとーは、沈思黙考の様子。このポーズが採用されたのは、よくこういう姿勢を取っていたからでしょうか。

思えば彼は大村藩の出身で、明治初期の政界をリードした薩長土肥のメインストリームからは外れています。それが浦上キリシタンの巡察以降、新潟県令、東京府知事、衆議院議員、同議長へととんとん拍子に出世して、爵位まで受けるようになりました。

すべてを浦上キリシタンとの関わりから解こうとするのは強引かもしれませんが、流配中の信徒の待遇をを改善するよう指示したことは、この人の善行として天に覚えられているのではないかと思います。くすもっとーはクリスチャンにはならなかったけれど、その環境で行いうる最善のことをしたのは確かで、神様が報いてくださったのかもなと。

雨上がりの緑陰で蚊に刺されたところを掻きながら、「情けは人の為ならず」と、言葉にすればありきたりなことを、悟りのように大事に思っておりました。



くすもっとー像

解説板

明治天皇行幸

解説板

ラーメン無尽蔵にて


新潟駅近くの宿に荷物を置き、駅前のラーメン店「無尽蔵」でニンニク満載のメニューを。明日からの殉教地めぐりに備えます。

塩分過多のスープは、水で薄めたいくらいですが、これが北国(ほっこく)なんですね。北国体質になって乗り切りたいと思います (* ̄0 ̄)/




          こころの旅


かつて「方丈記」の作者は人生を川になぞらえて、人間とはその「よどみに浮かぶうたかた」のようなものだと観じている。
だが、人ひとり育つこと、生き抜くことの複雑さを思えば、人生は奇跡のようにも見え、あまりに重く思われてくる。
なぜ人の生にこんなにも重みが感じられるのであろうか。
それは、その生命にこころなるものがあまりにも発達して具わってしまったからであろう。(中略)
人生とは生きる本人にとって何よりもまず、こころの旅なのである。
                  (神谷美恵子「こころの旅」より)


今回は今回で旅程はあるけれど、何よりこころの旅ですね。せっかく来させてもらったのだから、知識だけでなく、こころも成長しますように。小さな私のこころに、大きな神様の光が差すといいなぁ (o^―^o)





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